学校に緑の通路をつくるという効果についての考察と提案

コンセプト

子どもたちに潤いある空間を木を植え、やがてはそれが枝のアーケードとなり、学校の年月を経て変化成長する新しい原風景を作る

 

その想い

リズムのある生活は心身の健康にとても重要だと思う

収縮と弛緩

息を吐いて吸って

季節には気が外へと広がる夏があって身もこころも「うち(内、家)」に入る冬がある

学校では授業があって休み時間(この休み時間が本当の休み時間になっているのかということもあるが)がある

平日があって休日(この休日も本当の「休みの日」となっているのかということもある)がある

昼間があって夜がある

 

リズムがあることが大切

すべてが交感神経と副交感神経の切り替えがスムーズに行えることが心身の健康にとても大事なことだと思う。

リラックスする時間、ホッとする時間

 

それを空間でおぎなうことができるのではないだろうか

 

しかし現実の子どもたちは毎日一年中とても忙しい

1日で見れば朝、追い立てられるように家を出て、歩き、そして時間割のなかで急かされるように授業が連続。休み時間は曲に会わせて校庭を駆け、休み時間のようで神経が休む瞬間がないままに部活、そして帰宅、宿題、夕食、風呂、就寝。

1年のリズムをみても行事が一つ終ればまた次の行事への準備と立て続けにあり、体はもちろん「気持ちを休ませる」ことはかなり器用な子どもかもしくは外部への感覚を無神経にすることでないと出来ないだろう。それはテレビがついたままに食事に集中し、勉強ができるような訓練ができている子ども。子どもはいつ息をついたらいいのだろうか。息をついているのだろうか。

指導する側、育てる側のおとなでもあるとき、たとえば湯船に浸かった瞬間に「ほっ」と息をついてその瞬間にいままでは意識していなかった緊張状態のなかにいたことに気がつく瞬間を誰しも一度は経験しているだろう。

 

 

そんな環境に生きるしかない子どもたちにせめて学校に入ったときに見る風景がやわらかく、外との空間をゆるやかに隔てるやさしい木のアーチがあれば、雑木林や神社の境内に入ったときのように息がふともれるような空間ができたらどれだけの子どもの、そして教職員の助けになるだろうと思う。

 

 

 具体的な提案

 

校門から玄関までのアスファルト脇にある細い花壇に将来木陰をつくれる木種の木を植える

 

校門から入った人の視点は木の梢越しに校舎をみやる風景となる。

枝ごしに見る校舎は直線でできたコンクリート造であっても潤いをもって見える視覚的効果を期待できる それは一枚の絵画を見るように豊かな心と心のゆとりを生む

 

体感的には葉の蒸散作用によってひんやりとした空間ができる
やがてはその木は高い位置で葉を茂らせ、アーケードのようになった下を通って歩くことで子どもたちがほっとする空間を形成する。

それは子どもたちがたった10年くらいまえの子宮口をとおってこの地上にやってきた 、そんな懐かしい感覚を呼び起こすかもしれない。

校舎までの出入りにそうした空間を形成することは様々な問題のとりまく外の世界と学校との気持ちの段階的でゆるやかな切り替えのよい時間的空間にもなるだろう。それは子どもと対峙する教職員にとっても校内に緊張する運転中の雑然とした意識を持ち込まず、しだいにおだやかな気持ちへと意識せずとも変化する切り替わるような緑のトンネル部分が形成されることはよい効果があると思う。

 

副効果としては玄関までの通路に雑木林にあるような自然の樹形の木を植えることで周囲環境の生き物を校庭に呼び込む。

道にできた日陰はその東側におかれた車へのアスファルトの照り返しによる温度上昇を軽減し、将来的には木陰がそこまで伸びていくであろう

木の種類の提案

 

植栽するは木は枝ぶりの美しい雑木林にあるような落葉広葉樹はどうだろう。

古沢地区は緑豊かな里山の風景。里山風景とは「自然」であるようにみえて、すべて人の手の入った「不自然な自然」であることを意識している人はどれだけいるだろう。

長年かけて人類は自然であることの猛威や脅威、不都合さをすこしずつ克服し、こうした共存する様な形にもってきた。それが里山の風景である。

 

田んぼ、畦、梨の木、すべて丁寧にたびたび機械をいれないとそのどの風景をもってももたらされない作られた風景。

この地域の庭木も丁寧に剪定された石の置かれた造園、砂利の敷かれた前庭のまわりに剪定された庭木を配置する家が多い。それはどこか固い感じを私たちは知らず知らずに受けとってはいないないだろうか。

里山の風景がのこるこの古沢地区でもなかなか手の入ってない緑というのは少ない。自然豊かとみえる緑はほとんどが人が日々汗水ながして手を入れずにはできない田んぼや畑。庭木や垣根である。千葉の房総をみても極相林と呼ばれる究極の森の形はわずかに東大演習林に残るだけだと言う。

 

子育ては「盆栽家になるなかれ 造園家であれ」」と言う言葉に示されるように 子どもの生まれ持った特性や個性を伸ばすことが求めれている。子どもを扱いやすい、木で言えば枝先を詰めるような剪定を施した枠にはめる教育や指導は盆栽型教育であり、それは真の教育者が目指す姿ではないだろう。

しかし前述したようにそとに目をむけると子どもが普段目にする緑は実は選定された槙の木や、整理された花壇であり、それは整然とした美しさはあるがどこか緊張感をあたえる。(交感神経の働き)

反対に枝の先が選定されていない雑木林にあるような木はのびのびとしてゆったりとした気分をあたえる。

雑木林の中や山、神社の境内の木の下に入ったときに感じるあのリラックスした気分は選定した庭園を歩いたときにもたらされる感覚とは違うというのはだれでも体感している事だと思う。 (副交感神経のはたらき)

 

 子どもは周囲を模倣して成長し、生活している。その外部から受ける影響ははおとな以上である。それは授業時間に新しいことに触れた子どもの目の輝きはいくら新しいことを学んでも大人となってしまった自分が輝くきらめき方とは格段の差があることは明らかな事実だろう。

そして本物に触れたあと、たとえばオペラ歌手の歌を聴いたあとに練習もせずに子どもたちが歌った歌がそれを聞く以前とまったく別物になるときに見せるなど、段階的でない一気に成長する姿から容易に察しがつくだろう。訓練ではなく周りの影響を受けても成長できるのが子ども時代しか持てない能力だからだ。だからこそ、自由にのびのびとしたゆったりとした枝振りを見せる木がそばにあることは忙しい子どもにとってどれだけの優しさをもたらすことになるだろうと推測するのである。

 

子どもたちに木の枝が自由に動く風景を。その下にできる木漏れ日の風景をあげたいと思う。

こんなに緑豊かな古沢地区で木漏れ日の中を「歩く」人や見る人がどれだけいるだろうか。

 

そこで今回広葉落葉樹を提案したのはそういう理由からで、そのもたらす空間が人にも有効に利用ができる自然な風景になると思ったからである

 

緊張がほぐれる緑のある空間が植栽によって実現できると思う

 

木のもたらすリラックス効果もある。城西国際大学の教授による研究で

自然の緑のなかで30分休憩したあとにもたらされた感情と人工的につくられた冷気のなかで30分休憩したあとにもたらされた感情の意識調査がある。

前者はすっきりした感覚をもたらし、後者は、もう休憩が終ってしまったのかというマイナスの感情がわくそうである。

サッカーなどで熱中症になった子どもたちが体育館の入り口ですわっているのを見るがその先に緑の木立が完成すればそのリラックス効果も得られるはずである。

より木立が生長し、広い木陰が校庭側に張り出せばベンチをその下において木陰のなかで葉の蒸散作用で日陰がもたらす涼しさ以上のさわやかさを感じるはずである。

 

 

参考にしたのはそのほとんどが高田造園設計事務所の高田さんの本や講演で得た知識で実際の植栽を手がけてはいないが、きっとこうした効果があると思う。

 

方法

場所は校門入った駐車場の前に細い花壇スペースと槙の木が生えてる体育館前の芝の花壇

細い花壇は有効スペース幅が60センチから80センチ

ここに中低木と呼ばれる木を植栽し 木が育って行くにしたがって木のアーケードを形成

 

校門を入るとその木が目にとびこんできてその梢腰に校舎をみる

 

右をみれば近景の緑越しに遠景の校庭の緑、その先にある古沢の里山がみえる、近景遠景のもたらす効果は遠近感により一層空間の広がりを感じる効果がある。

 

 木の葉の蒸散作用は汗をかいて遠くから重たいランドセルを背負って通って来た子どもたちにやさしい涼しさを与えてくれる

木の種類は冬の葉がないときも枝の美しい、自然なクヌギ、コナラを中心とした落葉広葉樹を中心に植栽する

 

木は幹へ熱があたると弱ってしまう。夏の強い日差しによるアスファルトや校庭からの照り返しは木への負担が大きい。

街路樹や記念樹でよくみる先端葉だけが内需尾﨏は自らを守るために蒸散をする葉を減らし、枯れてしまう。こうした「先枯れ」した姿は木が健全に育っていつる美しい状態とはほど遠い。

自らの日陰はたとえ6,7メートルの高木になったとしても夏の日陰は1メートルにしかならない。根っこも地面が熱くなることで痛んでしまう。

この対策としてある程度狭い面積に何本かを密植する方法をとることで互いの木どおしで日陰をつくり、地面があつくなることからの根っこへの影響や、アスファルトからの輻射熱が幹へと与える影響を軽減するためにも有効だと思われる。

校庭という広い空間なのでそんなに成長を抑制することもないが、この方法を使うとあまり大木にならないよう育ち方をゆるやかにする工夫としても庭木においては採用される。細い幹のまま何年もすることも可能である。

 

また密植すると大木一本の木の葉の量を3分の一程度に抑えることができるので掃除などのメンテナンスが多少軽減される副効果もある。

 

根っこに関して言えば地上部の木が健全に育成するためには根っこの伸びる環境を整っていることも大切である。先人は街道の並木を作る際に石や切り開いた際に出た枝や切り株を埋めることで適度な空気のある環境、そして腐った切り株や枝は大切な養分となってふたたび木を育てることができる。しっかり腐葉土やバーミュキュライトなどの土壌改良をしっかり行える業者にお願いするか知識ある人にお願いするのが良いと思われる

 

 

管理の仕方も注意が必要である。

先をどんどん詰めてしまった街路樹のケヤキの写真をみた。

それは大きなコブ状になったところから徒長枝と呼ばれる枝が何本も出て、その姿はいたいたしいばかりである。

 

人が通行する場所の枝は払いながらも伸ばして行く枝はいじることなく、枝先を詰めるということはしないでそのしなやかな枝先はそのままにしていく。

剪定の手間は1年に一度程度、そうした枝を払う程度で最初の2、3年は反っていじらずにがまんをしたほうがそのあと木が一気に伸びて高い位置で葉が茂り、人と木との空間が互いに邪魔せずに棲み分けをはじめることになる。

高い梢では安心して小鳥がさえずるであろう。

 

手が槙の木の様な剪定を必要とせずに基本、放任することで育ち、その姿が美しい雑木

春は新緑、夏は茂る緑による木陰、秋はしだいに色を赤茶にし、舞いおち、冬は枝のしなやかな樹形を楽しむことができる

落ちた葉は良質な堆肥の材料となり、堆肥置き場を用意し、そこにあつめればクヌギコナラが夏場にカブトムシを誘引し、その成虫が堆肥に卵を産卵し、初夏には堆肥のなかに大きな幼虫をはぐくむことだろう

 

こうしてまわりの動植物を呼び込む環境づくりにもなる

大学のキャンパスのような木立のある風景はしだいに大きく育つ木々は子どもたちの新しい原風景になると思う。

 

古沢地域の人たちもその風景を通るたびにみることができる。

 

地域で共有できる風景の一歩になることを願って提案します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

校門から校舎を見る ここに緑のアーチができることで地域の景色にもなる

梢ごしに見る校舎の風景はやわらかいものになるだろう

 

校舎側から校門をみる この左側の花壇に中木の雑木を植栽していき、やがて7,8メートルの高木へと成長させてアーケードとなる

提案イメージ図 上 校門から校舎を望む 

        下 校舎側から校門を望む

 

木も人もひとつでは育たない。ヤマボウシの木の葉はもうすでに落ちている。この木は夏から葉の色もわるく、夏の暑さ、そしてアスファルトから受ける熱にまいってしまっているようである。

高田造園設計事務所によるフクダアリーナ(蘇我)で行われた記念樹林。1.5平米のなかに何本もの何種類もの木を植栽することで潜在植生の小さな森を創造していく。

おなじ場所にあるケヤキの大木。すっかり幹は熱にやられ、この時期すでに葉が落葉しきってしまっている。どんな立派な木を植えても地上部と地下のバランス、周りの環境でこのような痛々しい姿になってしまった。

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